「肉じゃが」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?
牛肉とじゃがいも、好みで玉ねぎや糸こんにゃくなどを炒めてから醤油や砂糖、みりん、料理酒などを使って甘煮にしたもので、煮物の定番として日本に根付いている料理ですが、その発祥には意外な人物が関係しているという説があります。
それはなんと日露戦争においてロシアのバルチック艦隊を打ち破った「東郷平八郎」です。
ここでは肉じゃがと東郷平八郎の不思議な関係について紹介していきたいと思います。
東郷平八郎とは
1848年生まれの東郷平八郎は薩摩出身の軍人で、日清戦争の時には巡洋艦「浪速」の艦長として活躍しました。その功績が認められ、日露戦争の開戦前には常備艦隊司令長官に任命されています。そして翌年には海軍大将に昇進し、連合艦隊が編成された時には第一艦隊兼連合艦隊司令長官として指揮をとることになります。
日本海海戦においては当時世界最強と謳われたロシアのバルチック艦隊を有名な丁字戦法で打ち破り、その名を世界中にとどろかせました。
アメリカやイギリスでも「アドミラル・トーゴー」の名称は知れ渡ったのです。※1※2
なぜ東郷平八郎が肉じゃがを考案? 目的はビーフシチューだった?
ある時、当時海軍中将で、舞鶴鎮守府の初代長官だった東郷平八郎が、イギリスに留学していた際に食べたビーフシチューの味を忘れることができず、艦上食として作るように部下に命じたそうです。
命じられた料理長は作り方を知りませんでしたが、東郷が「牛肉とジャガイモと人参が入ってる」と説明したため、それをもとにワインやデミグラスソースなどではなく砂糖や醤油を使って作られたのが、肉じゃがだと言われているのです。※3
東郷平八郎が肉じゃがを考案したということの信ぴょう性は?
東郷平八郎が肉じゃがを考案した(させた)というのは有名なエピソードとして知られていますが、残念ながら後世の作り話の可能性があります。
まず第一に東郷平八郎が舞鶴に赴任してくる前の1891年に制定された日本海軍の「五等厨夫教育規則」の中に「シチュウ仕方」、つまりシチューの作り方が記載されていることから、すでに海軍ではシチューが作られていたことがわかります。
料理長がシチューの作り方を知らなかったという話には少し無理があるのです。
さらに、当時日本ではすでにビーフシチューやハヤシライスが街の洋食屋にメニューとして存在していたようです。
では、なぜこのようなエピソードが広まっているのでしょうか?
実は、観光客を呼び込むテーマを考えていた京都府の舞鶴市が、1990年代に入ってから「舞鶴に赴任してきた東郷平八郎が部下に命じて肉じゃがを考案させた」という話を宣伝して回ったそうで、この話が妙に信ぴょう性を帯びながら広まっていき、周知されるようになっていったと言われています。
同様のことは東郷平八郎が赴任していた広島県の呉市でも行われていたようで、どちらも「肉じゃが発祥の地」であることを譲らずに宣伝しています。
舞鶴側は当時の肉じゃがのレシピが舞鶴に残っていることやイギリスのポーツマスから「舞鶴が肉じゃが発祥の地である」と認定を受けていることから、舞鶴こそ発祥の地であると主張しています。また、地元の市民団体と食品メーカーとの共同開発で「元祖肉じゃがコロッケ」を販売もしています。
それに対して呉側は東郷平八郎が舞鶴よりも先に呉に赴任していたことや、舞鶴側が発祥の根拠とする肉じゃがのレシピは現代風なアレンジが加えられており、当時のものとは違っていると主張しています。
こうして、この論争はすでに約20年も続いているのです。※4
肉じゃがは当時みんな悩んでいた病気を解決した
江戸時代から明治にかけての日本では脚気(かっけ)という病気が問題となっていました。
これは1000年以上も前から日本中で見られた病気で、原因はタンパク質とビタミンの欠如によるものでした。
肉を食べる習慣がほとんどなかった日本人は、特にこの病気になりやすかったのです。
明治の頃は軍隊でも流行しており、これが原因で死亡する者もありました。
当時、後に慈恵会医科大学を創設することになる海軍軍医の高木兼寛はイギリスに留学した際、現地では脚気が流行していなかったことから脚気の原因が食生活にあると考えました。
そこで軍人の食事について、肉を食材にする料理が多い洋食へと切り替えることを提案したのです。
その提案を採用した海軍では脚気の症状は激減しましたが、採用しなかった陸軍では改善が見られなかったため、この説の正しさが証明されたのです。
ただし、海軍の中でも洋食を「バタ臭い」として嫌う者が多くいました。
こうした軍人たちにも肉をスムーズに食べさせる目的で、あえて砂糖と醤油で味付けした、洋食ではない肉じゃがを食べさせたという可能性は十分に考えられます。※4※5
日本のおふくろの味
日本人に広く親しまれている肉じゃがですが、その始まりには意外な人物が関係していたというエピソードがあったわけです。
そこには「ビーフシチューを作ろうとして肉じゃがができた」というまことしやかな話もあり、この料理の趣の深さを物語っています。
最近では、当初の食材の他にインゲン豆などを加えるような工夫もいろいろと行われています。
まだ西洋料理に慣れていなかった当時の日本人のためにアレンジされた肉じゃがは健康食としても重宝され、多くの人が病気から救われました。その陰の立役者が味付けに使われた「砂糖」と「醤油」です。
昔から愛される甘辛い「日本のおふくろの味」が肉を取り入れた日本人の食生活を導き、同時に病気から救ったと言えるかもしれません。
参照元
※1 http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/141.html?cat=48
日本人の肖像
※2 https://kotobank.jp/word/東郷平八郎-18977
東郷平八郎
※3 https://macaro-ni.jp/5155
きっかけは東郷平八郎のムチャぶり!?「肉じゃが」誕生の逸話が斜め上すぎる
※4 http://historivia.com/cat4/togo-heihachiro/3688/
東郷平八郎が肉じゃがを考案したっていうのは本当!?
※5 http://jsmh.umin.jp/journal/35-3/292-300.pdf
『明治期における脚気の歴史』をめぐる話題 p.68-69